僕は音楽を聴かない
バンドやってみたり歌歌ってみたりライブ行ってみたり、ライブ行ったら前の方で乗ってみたり店でかかってる音楽にも身体動かしてみたり、いかにも音楽が好きですよ〜みたいな顔してるけど全く音楽を聞いてない。
(理由)
・iPhoneのストレージがなくて音楽が入らない
・イヤホンをなくす。ヘッドホンを壊す。
・PCが古くてCD読み込ませようとしたら遅い。
・サブスク配信、聴きたい音楽がなくてむかついてやめた。
・スピーカー持ってない。
・そしてこれら全ての環境要因を改善しようというやる気とその為の金がない(或いは金がないという貧乏マインドによってやる気が阻害されてる)。
生活の全てがこんな感じ。無限のこうしたらもっと良くなるのにな、が頭蓋骨の中で回転寿司みたいに次々やってくるけど、全部食えないならどれも食べたくない(?!)、つって只の一皿にも手を伸ばせない。学習性無力感の大海でずっと遭難してる。
全てが面倒で即成果が出ないと何もしたくない。誰か好きな人が褒めてくれなきゃ何もしたくない。
から自分で自分をずるずるに褒めてみてる。私は私のことが大好きなので私に褒められるとうれしいので。
ノートに
①洗濯回す(9:00)
②皿洗う(9:10)
③シャワー浴びる(9:25)
④洗濯物干す(9:40)
⑤出かける(10:00)
とか書いといて できたら隣に
「できた☺︎☺︎えらい☺︎♡♡♡」
とか「できなかったけど帰ってからやれば大丈夫😤‼️‼️」
とか書いてる。
受験上手くいったのってすぐ数字で成果出るし大好きな塾の先生とか大好きな学校の担任がめちゃくちゃ褒めてくれたからだったな。友達もちょっと尊敬してくれたし。
じゃあまたそういうゲーム性の環境に身を置けばよくて、
大好きな先輩がよく褒めてくれる会社に入れば幸せやん、とか、家事やったら褒めてくれる大好きな男と結婚したら幸せやん、と思う。
でも、もうそのパラダイムは脱出したいんです、とも思う。
グズグズ言わずにYouTubeで広告飛ばしながらiPhoneのスピーカー部をグラスに突っ込んで音楽を聴こう。
絶対二度と使わない中2の時にダイエーのセールで買ったオレンジの人工皮革が剥がれてる鞄だけでいいから捨てよう。
京都大学アドベントカレンダーに参加することにしたので今日から記事を書く
約5年半前に入った京大を今年の4月に退学しようとして失敗して9月になんとか退学した。そのことを総括しておくべきだとぼんやり思っていたけどやってなかった。
12月、日毎に交代でブログとか書こう!
— くに\(❛ω❛. _) )_みち (@ku2m1) 2019年11月7日
まだまだ空いてるから埋めていけ〜?https://t.co/r54UwBBItT
11月の上旬に上のツイートが流れてきた。アドベントカレンダーにちょっと憧れあるし、OBでもいいらしかったから退学エントリを書く良い機会だと思った。
アドベントカレンダー (Advent calendar) は、クリスマスまでの期間に日数を数えるために使用されるカレンダーである。
— くに\(❛ω❛. _) )_みち (@ku2m1) 2019年11月7日
インターネット上などで、12月の1日から25日までに、特定のテーマに沿って毎日ブログなどに記事を投稿していくという企画がある
(Wikipediaより)
普段Twitterでしかアウトプットをしないから140字以上の文章を書くことがほぼない。当日いきなり退学エントリを書くのも不安なので、練習として今日からブログを書く。受け持ちが12日なのでまだ2週間くらいある。
ブログ書くの久しぶりだし照れて温度がない文章を書いてる。一文が長くなるからとにかく短くしようとしてる。
久々にはてなにログインしたら、昔の鬱のゴミ箱みたいな記事が4つくらい残っててちょっと恥ずかしいけど消すほどのこともないのでそのままにした。
抱負:ウケそうな内容ではなく書きたいことを書く。そもそもウケる文章を書く力があるかどうかは置いといて。
実家と暇と片付け
土曜に法事なので一週間前乗りして帰省した
東京、電車に乗らなきゃ誰にも会えないし、遊びですら待ち合わせが難しいと感じてる
家にいるとアレルギーでつらい、出かけるためには身なりを整えるコストが高い
片付けのために帰ってきたつもりだったけどやっぱり時間がないし 時間がある日もめちゃくちゃすぎてなにも組み立てられずなにも進まないので 今回もやっぱりなにもできずにかえる
京都の部屋がなんとかなったから少しくらい進められそうな気がしたけどな
無力感
親と話すことがない。パパの腫れ物にさわる扱いが怠い。ママは無限に優しいから好きだけど話に興味を示してあげるのが難しい。
布団はかびてるし洋服が多すぎて埃が常に舞っていてすごい目が痒い。帰ってくるだけで体調悪くなるもうほんとにしばらく帰ってきたくない。
こんな状況でもわたしはわたしのこと嫌いにならないのがふしぎ
死ななければきっと幸せになれるから頑張ってほしい
功名
あったこと
・ある人が自分に真剣に伝えるつもりで言ったことを「怒られた案件」として処理してしまい不誠実・軽薄だと思われた
・「(私たちにとって)良いものを(私にとって)軽薄な言葉で表現しないでほしい」という旨だった
・個人で言葉の使い方やそれに対して抱くイメージは異なっているので、こちらからすればわざわざ口出しされるようなことでないとも言えるし、彼女にしてみればただ自分はその表現は不適切だと思うということを(強い語調で)述べただけとも言える
反省と知見
①人に怒られたり批判されて傷ついた時自分の中で処理しようとする手段として他人に漫談してしまう。
②刺激や話題を求めて、(傷ついたことでなくても)その場にいない他人を大声で批判してしまう。
③面白いだろうという喋り方でつまらないことを言うと2倍ムカつく。
④でも勢いと言い方で笑いが取れることもある(これをしょうもないと思う人もかなりいる)。
⑤集団の場を盛り上げるつもりで言ったことが人を不快にさせることは往々にしてある(マウンティングや元カップルいじり、体型(コンプレックス)いじりなど)ので、配慮が必要 ラジオはしばらく控える 落ち着いて心から出てきたことを言う 架空の需要に応えない
慰め
①反撃しないだろうとなめられているので馬鹿にされたり不快感をすぐに出されたりしやすい。
②不快になったら不快ですという態度を取ること自体は悪いことではない(相手も同様に)。
③自分と未来は変えられる、他人と過去は変えられない
相手が不快感を示すことは悪いことではなく、それを変えることもできない
自分が攻撃されたくないという意思表示や、相手の不快感を受けての今後の行動選択のみを変えることができる 今回は意思表示はしたので、今後内容のない漫談を控えれば(少なくとも言ってしまう前に言ってもいいことかどうか考えられるようになれば)よい
④嫌いになったりお互いに不愉快なら離れていい。仲良くできる時期や距離感がある。
⑤でも某が言ってそうだからエモいが嫌いとかはクソ意味わかんないでしょ(@_@)
まとめ
煽り文化に染まった自己を相対化する。面白くなくても私には価値がある。一対一コミュニケーションと多人数コミュニケーションの本質は変わらない、一人一人を人として尊重すること。
こゝろ
実家に帰ってる。親の期待に沿わない人生になっているから帰るのが怖いと思ったけど帰ってきてみたら両親とも無償の愛に溢れていて無限に居心地が良くて更に申し訳ない。高2の現代文の授業で買って蛍光ペンだらけの夏目漱石のこころを読んだ。影響されやすいから本読むとすぐその作家の文体で物を考え始める。その内容も影響されてだからこころとか読むと厭世的な感じになっちゃうし十五少年漂流記読むと冒険的になる。課題図書かよ。高校生の時よりも概ね頭が悪くなっていると思うけど読書感想文は今の方がずっとうまくかけるだろうな、と蛍光の赤青緑の線を見ながら思った。
先生はKに自分の醜さを打ち明けるタイミングは何回もあったのに全部逃してて早く言えよバーカって、こちゃこちゃした卑怯者だから死んで然るべしとか、授業で読んだ時にイライラしてたの思い出して、あの時は無限に正しくて強くて光っててだけど今は、
愚かさとか自分勝手さを隠そうとして余計に惨めで自己概念が何回も芋虫みたいになる。開き直って惨めなそのままを人に、卑小も誇張もせずに見せたい、見られる意識もないままに喋ったり動いたりしたい。
隠したあとでも隠しましたって言おう(怖い)。周りの人がみんな神様で懺悔したら全て許してくれると仮定しよう(実際にはそうじゃないとしても少しは誠実に振る舞えたとしたらその分はいい結果になるだろう)。
動き出したくない
動き出したくない。
まだ時間がいっぱいあるときには余裕、と思ってちんたら本を読んでいる
期限が迫ったときには今度は、自分がそれまでにこなすはずだったのに少しも手を付けなかったあれこれのことに絶望して重力が五倍になっている
生まれてからずっと繰り返していること、だけど学習できない、これを学習しないことによって自分が間違いなく不幸になっているのがよくわかるけど、じゃあ学習して自律ができるようになったら幸せになれる?
毎朝学校に行くのも、放課後部活をするのも、夕ご飯を食べるのも、受験勉強も、ほとんどのことはママの顔をした社会の他律でやってきた。もし一生学習しない(できない)つもりなら、うまく私を律してくれる人を見つけるしかないだろう、ママの代わりに。上司とか、彼氏とか。
18歳まではいつでもできていて自分が一番強かったような気がするのに今は人生に立ち向かうのが怖い、立ち向かっていないことを誹られたくなくてだからあらゆる他人が怖い。